食育に関する情報・食育の実践なら 【HATTORI食育クラブ】

メディア

HATTORI食育クラブ 服部幸應コラムNo.16

スパイシー・ノスタルジア

何気なく紅茶に浸したプチット・マドレーヌを口にすると、現在を凌駕するほどの幸福感とリアリティをもって失われていた幼い頃の記憶が呼び起こされた…。
20世紀を代表するフランス作家マルセル・プルーストの自伝的小説「失われた時を求めて」のエピソードです。
幼い頃食べた菩提樹のお茶に浸したマドレーヌの思い出、その時の建物、花や家や人間、川の睡蓮、善良な村人やささやかな住まいが次々と形をなし、一杯のお茶からとびだしてきたという心象が描写されています。
匂いによって思い出が呼び覚まされることは多くの人が経験するもので、このエピソードからプルースト効果と呼ばれています。嗅覚の記憶による懐かしさ、郷愁感は、他の感覚の記憶とは少し違うようです。

おふくろの味はノスタルジアの主だったものといえますが、味は匂いに大きく影響をうけているといいます。そして料理に良い香りを与えるために、スパイスはかかせない材料です。
コショウ、シナモン、ナツメグ、バジル、ローリエ、ローズマリー、ウコン、サフラン…。
スパイスは植物であり、飲食物の風味づけや着色などの機能をもち、調味料として使えるものであると定義され、ショウガやニンニク、ワサビやカラシ、ミョウガ、シソ、ヨモギ、ゴマ、ネギ、ダイコンなども広義のスパイスとされます。

スパイスの歴史は大変古く、紀元前数千年から古代インド、ギリシャ、アラビア、中国などで使われ、大変高価な貿易の商品でした。
たとえば古代ローマ帝国では、インドのコショウは大量の金貨と交換され、通貨としても利用されました。1世紀頃の文献によると、コショウ入りの魚醤や卵黄は富を誇示するうってつけのレシピであったそうです。
15世紀?17世紀頃のヨーロッパの大航海時代においてもスパイスは高価で重要なものであり、コロンブスやバスコ・ダ・ガマにとって、スパイスを求めることも旅の大きな目的のひとつでした。歴史の中でスパイスに関係する争いも多く起こっています。

ときに奪い合うほどに、なぜスパイスは人々を魅了し続けているのでしょうか。

まず、スパイスの用途の広さがあげられます。料理のほかに医療、化粧品、防腐剤、宗教的儀式などに使われていました。
料理を引き立てるために使われるスパイスには、香りづけの作用、辛味づけの作用、着色作用、脱臭作用の4つの効果があります。さらに多くの種類を使うことでまろやかにするスパイスのブレンド効果、ワインやウイスキーのように時間を置くほどにおいしくなるスパイスのエージング効果があり、「作った翌日のカレーのおいしさ」は、多くの人が経験しているところでしょう。
また薬効も古くから利用されました。紀元前2500年頃にインドで記された医学書、哲学書であるアーユルヴェーダには1万種に及ぶ植物性の薬剤が記載され、食事にさまざまなスパイスを織り込むことが健康を維持する方法のひとつとなっています。現代においても消化吸収を助ける、鎮静作用、抗菌作用、香りによる減塩効果などさまざまな効用が知られ、健康に役立っています。

そしてスパイスの魅力は、人々の感情をかきたてる部分が強いこともあげられます。
詩や宗教経典、愛の風習にもスパイスはよく使われていました。たとえばシナモンは古代より深い愛情を表すものとされ、王侯貴族たちにとって最高の贈り物であったそうです。ローマ帝国の王ネロも、最愛の妻にシナモンを贈ったといわれています。

思い出との関係やスパイスの歴史からみても、匂いは情動と深く結びついているようです。嗅覚は他の感覚より研究が遅れており詳しいメカニズムはわかっていませんが、ヒトの遺伝子には他の感覚より嗅覚への遺伝情報が圧倒的に多く、理性を司る大脳新皮質が発達する前の、本能や情動を司る大脳辺縁系に直結する原始的な感覚であることも関わっているのでしょう。
視覚と嗅覚が記憶される違いの実験によると、視覚は強烈なインパクトを与えてすぐに記憶から消えてゆきがちですが、嗅覚はゆるやかに反応し、その記憶は時間がたっても消えにくいものなのだそうです。 匂いのもたらすその時に戻ったようなノスタルジアは、遠い昔からなだらかに心にとどまり続ける記憶のためであるのかもしれません。

梅のほころぶ香り、強い太陽と潮の香り、金木犀の香る道、冷たく乾いた風の香り、帰り道に漂う夕食の香り・・・。
今の子どもたちが大人になった時に、香りから呼び覚まされる記憶が美しい思い出となるようにしてあげたいものです。そして、毎日の食卓にたったひとつでも愛情のこもった手作りの味と香りがあったなら、その料理を食べた人を何年たっても幸せな気持ちにさせてくれることでしょう。

国民食「カレーライス」のルーツを探る

レストランで、学校で、ご家庭で人気のあの「カレーライス」。日本のカレーライスのルーツはインド、ではなく、イギリスであるというと驚かれる方も多いことでしょう。
明治の初め、時の政府は西洋文化を急ピッチに取り入れましたが、食にもその範囲は広がりました。近代化の証として西洋料理を奨励し、普及させます。そこで伝わったのが、インドから取り入れて独自に発展したイギリス料理のカレーでした。明治5年に発刊された日本で一番古い西洋料理のレシピ本に、うどん粉でトロミを付けた現在の欧風カレーの作り方が載っています。このカレーは軍隊の給食に採用され、瞬く間に日本中に広がったようです。本場のインドカレーが日本に登場するのは昭和初期のことでした。

バナースペース