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HATTORI食育クラブ 服部幸應コラムNo.35

マツリリズム

「Trick or treat!(お菓子をくれないと、いたずらするよ!)」
10月31日におなじみのイベント、ハロウィン。みんな好き好きに変装をし、 かぼちゃに顔を彫ったランタンをたずさえた子どもたちが、冒頭の言葉を口にしながら近所をたずねて回り、 お菓子をもらいます。

もともとハロウィンはケルト人の宗教的な行事で、収穫を祝い、また故人を偲ぶお盆のようなものでした。 日本でもこの時期は、各地で収穫祭などが行われています。祭りは本来、原始・古代宗教の集団儀礼のことをいい、 現代では一般化されてお祝いの行事を呼ぶときに多く使われています。

普段とは違う雰囲気を楽しむ祭りは、生活にアクセントを与えます。 そして、祭りには私たちにとって大切な機能があります。

民俗学者の柳田國男は、「ハレ」と「ケ」という概念を示しました。
ハレとケは、稲作文化を生きてきた日本人の生活のリズムをつくっていたものです。
ハレとは普段の生活とは違う、祭りや冠婚葬祭のことをいい、「晴れ着」「晴れの日」などのもとになっています。 ハレの日には晴れ着を着て、ふだんとは違う特別な料理を食べ、多くの人々と同じ空間を過ごします。
一方ケとは、労働と休養を繰り返すような日常生活にあることをいいます。ケは稲などの作物を生長させたり、 私たち自身にも宿っているエネルギーであるとされ、 自然の万物、草木や石にも神のような意思あるものが宿っていると考えるアニミズム的な思想がふくまれています。 ケの衰えは活力が失われ日常生活もままならなくなる「ケガレ」とされました。 そのままでは生活ができなくなるので、活力を再生させるためにハレのイベントや祭りが行われたのです。
このハレとケの再生を繰り返すリズムが、人々を活気づけてきたといわれています。

また祭りには、意識を共有するという役割があります。日常ではない場と空間を共有し、 多くの人々との一体感を持つことで地域社会の結束を強くしてきました。
コミュニティをつくり生きていく人間にとって、祭りは大事なものでした。 人と人、人と自然とのつながりが感じにくい現代ですが、 多くの人が祭りに参加することで潤滑油となっているのかもしれません。

ハレとケの区別が曖昧になっていることが、民族性に変化をもたらしているといわれています。 たとえば、ハレの日にだけ食べていたごちそうを、日常的に食するようになったことなどです。 確かに、私たちの食生活はメリハリが失われて、何かが変わってきているように思えます。

ハロウィンだけは、子どもたちが近所を好きに回り、おやつを食べ過ぎても許されることでしょう。 明日からはまたマナーに気をつけ、大人のきちんとしたしつけを受ければ良いのです。 だからこそ、お祭りは楽しくなります。
日々の生活では自然と体に合わせた食事を適度にとり、 お祭りの日だけは、与えられる喜びや、人々、食、自然への感謝を最大限に示しながら、ごちそうを好きなだけ食べる。 そのリズムをとりもどせたなら、日々をより生き生きと過ごせるかもしれません。

世界の収穫祭

秋は実りの季節。たくさんの恵みを祝い、感謝する収穫祭が世界各地で行われます。 農村が一体となって大規模に行うものや、各農家で小規模に行うものまで形は様々です。

収穫祭の例として、ドイツバイエルンのオクトーバー・フェストがよく知られています。 観覧車やメリーゴーランドが並び、楽団が音楽を奏で、ビールを飲み、16日間に渡り行われるなかで、 100万人もの人が訪れるともいわれています。ドイツらしく、再生可能エネルギーが利用され、 洗い水をトイレ用水に回し、食器もワンウェイではないなど、かなりエコなお祭りのようです。
またスペインバレンシアのトマト祭や、イタリア・フランスのぶどうの収穫を祝う祭りなど、 特定の農産物の収穫祭もあります。

日本でも各地で収穫祭や、学園祭が行われています。学園祭は学校によってその呼び名を変えますが、 農業大学などでは実習での農場からの収穫に感謝して学園祭を収穫祭と呼ぶことがあります。 お祭りにぜひ参加して、秋の味覚を楽しみ、多くの人との交流を楽しんでみてはいかがでしょうか。

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