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HATTORI食育クラブ 服部幸應コラムNo.14

イキなおとなの江戸しぐさ

食事をする時のあいさつ、「いただきます」。
手を合わせて食物やお百姓さん、料理をしてくれた人への感謝を伝える食事のあいさつは、江戸時代に始まったともいわれます。
道ですれ違い様にお互いがぬれないように傘を傾ける「傘かしげ」、こぶし分だけ腰を浮かせて席をつめる「こぶし腰浮かせ」、何事も明るい方向にとらえる「陽にとらえて」などと同様、人々が気持ちよく過ごすための江戸しぐさのひとつだったのです。

知識ではなく感性で身につけるべき江戸しぐさは口伝のものでしたが、江戸しぐさの語り部である越川禮子氏が未来に伝えようと文字におとしています。
著書によると、江戸しぐさは城下町を動かした商人たちから端を発しました。お客様との良い関係を維持するためのノウハウがベースになっています。商売第一ではなく、各地から多くの人が集まる江戸で、争いがなくいつまでも平和に、一日一日を気持ちよく楽しく生きられるよう、まず上にたつものが学んで実践をしようという考えが根底にあります。みんなが見よう見まねで動くうちに江戸っ子のくせとなったそうです。
江戸時代は民衆には厳しく重たい時代だったというイメージがありますが、実は階級差というものはほとんど意識されなかったそうです。「三脱の教え」といって年齢、職業、地位を聞かず、誰に対しても平等に接するという心得もあり、どんな職業の人も息苦しくない世の中であることが、260年もの間平和を維持した要因かもしれません。

そして江戸時代の生活は、素晴らしいリサイクル社会でした。
河合敦氏の研究によると、やぶれた服や壊れた道具は直して使い続け、不要になったものは買い取ってくれる古着屋、古道具屋がありました。油紙でできた傘は穴があいても貼りなおし、はずした油紙をなんと漬物や魚の包み紙に利用したそうです。古金屋は川底をさらって金属を拾い鍋などに鋳直し、紙くずを拾っていわゆるトイレットペーパーをつくる、紙くず拾いも存在しました。またろうそくの流れ買いといい、皿に流れてたまったろうそくを買い集めて、再びろうそくをつくる人もいました。その他さまざまなアイデアが駆使され、江戸の物は9割が何らかの再利用品であったそうです。物を大切にする心得は、つくった人への感謝を常に持つ「もったい大事しぐさ」といわれます。

もったい大事しぐさは江戸時代に多くつくられた日本庭園にもみることができます。江戸の初期、幕府体制を布き藩邸が多く建てられたことに伴って庭園も増えました。
庭園には、規格品を切りとった後の捨ててしまうような石片を利用して美しい道をつくったり、石灯籠の笠や竿などを組み合わせ直して寄せ灯籠というものを作ったりと、日本人の物を大切にし、美に高める精神が表れています。

また日本庭園には、わび・さびという言葉がよく使われます。わびもさびも元は良くないイメージの言葉でしたが、安土桃山時代の茶人千利休がわび茶を完成するなど、時の流れという自然に趣を感じる日本人は枯淡の美を見出してゆき、美意識として定着しました。
さびというのは、木が生命力を表して太く根をはり大木となる、石の中の成分が表れて錆びていくといった、時の流れの中で物が本懐をあらわすことといわれます。日本の気候は湿度が高いことから、ものが腐ったりかびたりする期間が長く、時がたつほどに自然に溶けこむような風情となります。苔のはえた灯籠が風化して欠けているさま、老木のたたずまい、庭園には悠久、無常という時間の美があります。自然は主人であり、人は従うべきもの、生けるものすべてに相互関係があるというエコロジー的な考えである「草主人従」という江戸しぐさに通じます。

すべてはうつろい変わりゆくという無常感を、前向きにとらえたのが江戸の人々だったのではないでしょうか。この瞬間や出会いを大切にする、江戸しぐさにみられる一期一会の考えにもつながるように思えます。
物を大切に使い続けるリサイクル精神をもち、自然や和を大切にし、誰に対してもわけへだてなく接し、この瞬間を楽しんで気持ち良くすごすことがイキ。江戸では人や自然、物の循環がきれいにめぐっていたようです。

子どもが自然と良いふるまいができるよう、親がきちんとしつけをすることがやはり大切でした。江戸しぐさが身についていない子どもは親が笑われたのです。
現在は給食費を払っているから子どもにいただきますを言わせないで、という親もいるようです。
食べられることが当たり前でない無常を陽にとらえて、今食べられることのありがたさを子どもたちに伝えたいものです。

日本の茶道

修身・儀礼・芸術・社交の四つの要素から成りたっている茶道は、鎌倉初期に抹茶が渡来して庶民の間にまで流行し、次第に和風化して風流なものになっていきました。
室町中期には茶会に礼儀と道徳が求められ、茶室の雰囲気も厳粛で奥行きの深いものになりました。
室町末期には大いに盛んになり、安土桃山時代には優れた審美眼を持つ茶人、千利休によって茶の湯として深められます。利休は「茶事の目的は、茶を通して、客をもてなすこと」と説き、作法から茶室、茶道具、茶庭、心のあり方に至るまで、わびの世界を確立しました。
桃山末期から江戸時代には各流派が興り、日本独自の文化として伝統が今日まで受け継がれています。

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